多頭飼いをしていると、猫たちを平等に可愛がらなければ、と思うことがあります。
一猫を撫でていたら、別の猫がやってくる。
一猫だけ膝や胸の上に乗っている。
一猫にだけ、ほかの猫とは違うことをしている。
そんなとき、
「これって平等なのかな?」
と考える飼い主さんもいるのではないでしょうか。
我が家には五猫がいます。
長ニャン坊クロ、次ニャン坊チビ、三ニャン坊さんた、四ニャン坊たかんぼ、五ニャン娘みゃあ。
五猫とも性格が違えば、甘え方も違います。
そして、私たち人間との距離の取り方も違います。
だから私は、五猫への愛情を「平等に5等分しよう」とは考えていません。
私が意識しているのは、少し違います。
五猫それぞれに、100%ずつ愛情を注ぐ。
それが、私の考える五猫への「平等」です。
五猫とも、甘えたいときは自分からやってくる
五猫の甘え方には、それぞれ違いがあります。
でも、共通していることもあります。
自分が甘えたいときには、私や妻のところへ自分から近寄ってきます。
そして、
「撫でろ」
とアピールします。
もちろん、猫なので言葉で「撫でて」と言うわけではありません。
近くへ来たり、体を寄せたり、その猫なりの方法で伝えてきます。
その中でも、特にアピールが強かったのがチビとたかんぼです。
チビとたかんぼは、私の胸の上までやってくる
私が横になっていると、チビやたかんぼは胸の上に乗ってきます。
そして、
「撫でろ」
「遊べ」
と言わんばかりにアピールします。
人間から見れば、かなり分かりやすい甘え方です。
一方で、五猫全員が同じように胸の上へ乗ってくるわけではありません。
甘えたいときの表現方法は、それぞれ違います。
だから、私たち人間側も五猫全員にまったく同じ接し方をしているわけではありません。
クロを撫でていると、ほかの猫たちが集まってくる
多頭飼いらしいな、と感じる場面もあります。
私がクロを撫でていると、高い確率でほかの猫がやってきます。
特に多かったのが、
- チビ
- さんた
- たかんぼ
です。
クロを撫でていたはずなのに、気がつけば周りに猫が増えている。
そして、
「自分も撫でろ」
とアピールしてきます。
猫たちが本当に「クロだけずるい」と考えているのかは分かりません。
ただ、一猫を可愛がっていることをきっかけに、ほかの猫まで集まってくることは我が家では珍しくありません。
そんなときは、もちろん寄ってきた猫も撫でます。
「全員に同じことをする」ことが平等だとは思っていません
五猫と暮らしていて思うのは、平等と同じ対応は別なのではないか、ということです。
たとえば、みゃあには朝と夜、私の手からご飯をあげています。
ほかの猫にはしていないことです。
では、みゃあだけを特別扱いしているのか。
私はそうは考えていません。
みゃあとさんたは仲が良いとはいえず、みゃあはご飯を食べるときにも、さんたが近くにいないかを十分に確認してから食べ始めます。
そのため、夜ご飯を十分に食べられていない可能性も考えて、朝晩に私の手から食べてもらう習慣を続けています。
これは「みゃあだけ特別だから」ではなく、みゃあにはその対応が必要だと考えているからです。
もし「平等だから」という理由で、五猫全員に同じことをしなければならないと考えたら、むしろ一猫一猫に合わない接し方になってしまうこともあると思います。
私の愛情を5等分するのではなく、五猫それぞれに100%
五猫いるから、私の愛情を5等分する。
一猫につき20%ずつ。
私は、そんなふうには考えていません。
クロに100%。
チビに100%。
さんたに100%。
たかんぼに100%。
みゃあに100%。
五猫それぞれに100%の愛情を注ぐ。
それが、私が考える五猫への平等です。
もちろん、現実の生活では時間に限りがあります。
仕事もありますし、いつでも五猫の要求すべてに応えられるわけではありません。
それでも、
「五猫いるから、一猫あたりに使える愛情は少なくなる」
とは考えないようにしています。
一猫一猫と向き合うときには、その猫に対して100%。
私はそうありたいと思っています。
五猫を迎えたのは、私と妻です
そう考える理由には、もう一つあります。
五猫が自分たちで、
「この家で暮らしたい」
と私たちにお願いしてきたわけではありません。
五猫を保護し、我が家へ迎え入れることを決めたのは、私と妻です。
言ってしまえば、私と妻のエゴで五猫を我が家の一員にしたとも考えています。
だからこそ、その決断に対する責任は私と妻にある。
五猫を迎えたときから、ずっとそう考えてきました。
あとから知った「終生飼養」という言葉
猫を迎えた以上、最後まで責任を持つ。
現在では「終生飼養」という言葉があります。
でも、私と妻が五猫を迎えたとき、
「終生飼養という考え方があるから、最後まで一緒に暮らそう」
と決めたわけではありません。
そんな言葉を知る以前から、私たちにとっては当たり前のことでした。
自分たちの意思で迎えたのだから、その猫の生涯に責任を持つ。
私たちは、そう考えて五猫と暮らしてきました。
終生飼養については、以前の記事でも私自身が感じていることを書いています。
猫によって求めているものが違うから、接し方も違っていい
クロ、チビ、さんた、たかんぼ、みゃあ。
五猫とも同じ猫ではありません。
性格も違います。
甘え方も違います。
ほかの猫との関係も違います。
お気に入りの場所も違います。
だから、人間側がすることまで、すべて同じである必要はないと私は思っています。
前回の記事では、五猫それぞれが選んだ居場所について紹介しました。
人間側が「ここがあなたの場所」と決めたのではなく、猫たちが自分で選んだ場所に、私たちの生活を合わせてきた部分もあります。
居場所が違うように、甘え方も違う。
必要としていることも違う。
その違いを無視して全員に同じことをするより、その猫が必要としていることに応える。
我が家では、それを大切にしています。
多頭飼いの「平等」は、一つではないと思います
多頭飼いをしていると、
「この猫ばかり可愛がっていないかな」
「全員を同じように撫でた方がいいのかな」
と考えることがあるかもしれません。
でも私は、五猫と暮らしてきて、全員にまったく同じことをすることだけが平等ではないと思うようになりました。
胸の上まで来て「撫でろ」とアピールする猫には、その甘え方に応える。
自分から近寄ってきた猫を撫でる。
安心してご飯を食べるために手助けが必要な猫には、その猫に必要な方法を選ぶ。
一猫一猫を見て、その猫に必要なことを考える。
そして何より、
愛情を5等分しない。
五猫それぞれに100%。
それが、五猫と暮らしてきた私が考える「平等」です。
五猫を我が家へ迎えた責任を最後まで果たすこと。
そして、それぞれ違う五猫を、それぞれそのまま大切にすること。
これからも、その気持ちは変わらないと思います。



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